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「 」

「 」 :火アリ


氷のね、気持ちになるんです。
うちでは製氷機の氷なので角がありますが氷の気持ちになって
今どこまで角がとれたか、どこまで溶ければいいのか、なんて考えるんです。
氷の気持ちになって。
そうすると振る回数も必然と定まってくるんです。


そう云うとバーカウンターの中にいるバーテンは製氷機から氷をアイスペールで
すくい、シェイカーのボディに入れるとストレーナーと所謂(いわゆる)、蓋、をしめる。
その上にある空気キャップートップというらしいー少しずらして中の空気を抜いてから
右手の親指をトップに押さえ、くすり指と小指でボディを挟み、中指と人さし指で
ボディを支える。


片手でシェイカーを持つとしっかり蓋をしめる為なのか、シェイカーを斜に落として
底を製氷機の片にガンっと叩き付けると、素早く左手の中指とくすり指をボディの
底にまわし、親指でストレーナーの下の方を押さえ、人さし指とボディを挟む。
そして肩と胸の真ん中辺りで水平に据えると前後に八の字を描く様に
リズムカルに振る。

シャカシャカと氷と材料がシェイカー内でぶつかっているであろう音がする。
素早くやらなければ手の中にあるシェイカー内では手の温度で氷が溶けてしまうのだそうだ。
氷が溶けてしまえば中に入れた材料-様は酒なのだがーが薄まってしまい、とても
飲める代物にはならないらしい。そして正確にカクテルグラスの分量で材料を計っている為に
ひどく薄まれば必然的にグラスから溢れてしまう。基本的には氷の溶ける分量としては15mlぐらい
だと先程教えてもらった。
一度もシェイカーというものを持った事もなければ、使った事もない私にしてみれば
何とも不思議な、そして大いに興味をそそられる。
シェイクしているバーテンの顔つきも先ほどのちゃらちゃらした笑顔ではなく、一点を
伏せめ気味に見つめ、シェイカーを持つ前に云っていた「氷の気持ち」にでもなっているのだろうか。
無言で手を振っている。


シャカシャカとシェイカーから発されていた音は次第に小さくなっていって
手の振りを止め、トップを外す。
用意していたカクテルグラスをすーっと私の前に差し出し、左手の人さし指と中指で
グラスの足の底を挟み、軽く押さえながら目の前で出来上がったカクテルを注いでくれる。
私の注文したカクテルはグラスのふちに塩をつけたスノースタイルのものだったので
塩の分の分量で計ってあるのであろう。
塩とカクテルとほんの少し間が空いてるだけできっちりカクテルグラスに入った。
名残惜しそうにシェイカーから1滴溢れると、おまたせしました。と云ってバーテンは
シェイカーを置く。
「マルガリータです」
ちゃらちゃらした笑顔だ。

 

 

時々、一人で家からもさほど遠くなく歩いていける距離のこのバーに入る事がある。
カウンターとテーブル席が2、3席あるバーなので店鋪的には大きくない。
訪問は不定期でいつ来るかもわからないのにこのマスターは覚えていた。
いつも暇であろう、平日の早い時間に来ている私は店側にとってみれば
珍しい客なのかもしれない。
今日も入るなり、くくっと笑うと、お疲れ様です。と笑顔で迎えてくれた。
笑顔なのはどの客にもだろうがちゃらちゃらとした笑顔と前に聞いた年齢が
あまりにも不似合いでいつも吹き出しそうになる。
私と同じで童顔なのだ。ここのマスターは。それこそ年齢は遠いものがあるのだが
いつも入り口辺りでお互いの顔をみると笑いが出てしまう。
先ほどのくくっという笑いもそれだ。


「そういえばここに入ってくるなり笑わんといて下さいよ。なんや恥ずかしいですよ…」
出来上がったカクテルーマルガリーターに口を付けながら私はちゃらちゃら笑顔の
マスターに云う。
「いや、なんか変な親近感があってですね…。それに有栖川さんも笑うじゃないですか」
お互い様ですよ、とマスターは云うとまたくくっと笑って先ほどのシェイカーを
洗い場で濯いでいる。
お互い様だと云われればそうなのだが、マスターより年下の私が笑うのはいささか
無礼かもしれない。客だぞと、胸をはって言える程ここに通っているわけでも
ないのだから「親近感」といわれているものにはあまり深く考えない方がいいのかもしれない。
もちろん本気で笑わないで欲しいとも思ってないのだが…。
実際私もマスターには童顔の事で哀れだ、同志だ、とも思っている。


「さっきの氷の気持ちってやつですが、さすがです、うまいです」
これ、と先程口にしていたカクテルを指すと私はにやりとマスターを見る。
今日は初めに何を飲もうかと悩んでいた私に進めてくれたカクテルがマルガリータだった。
「有栖川さん、お酒お強いですからテキーラベースでも軽いでしょう?本当はね、本場の
飲み方で飲んで欲しいスピリッツなんですが、今日は何となくこのカクテルがいいかなぁ~
と思いまして…。バーテンはお客さまの趣向や体調や思考など考えてみるんですよ。
いつも来てくれるお客さまでしたらパターンもペースも把握できるんですが
有栖川さんはたまにですからねぇ…少し微妙でした」
ははは、まだまだですね、僕も、とマスターは苦笑いをする。
なるほど…「うう、ん、そうですねぇ…」と渋りながら彼は悩んでる私を見ていたわけだ。
「へぇ、すごいですね。確かにこれは大当たりですよ。今日はすっきりとしたものが
飲みたかったんです。いつもうちではビールばかりですからね。こういう場にでもこなきゃ
カクテルなんて飲めませんもん」
それはよかった、とマスターは云うと、有栖川さんはお酒が強いから今度は本場の飲み方で
飲んでみて下さいよ、と飲むフリをする。
「本場の飲み方ってなんですか?」
「テキーラはメキシコのものなんですがね、半切りにしたレモンかライムをかじって塩を舐めつつ
テキーラのストレートを飲むんです」
こうやってね、と云って左手には半切りにしたレモンかライムを持っているフリをし、
塩をここに乗せるんです、と右手の親指のくぼみを指す。
「他にも先にレモンをかじりテキーラを飲んだ後塩を舐めると云う節もあるんですが
とにかく豪快な飲み方です」
「へぇ~それはすごい。メキシコって云うとやっぱり豪快なイメージですよね」
メキシコ=豪快というのはちょっと安直すぎるかもしれないのだが、行った事も
ないのでTVや雑誌で見た事のある、メキシコスタイルを想像してみる。
やたらつばの長い麦わら帽子(?)にひらひらレースの昔男性の某アイドルが着ていたような
派手な色彩の服装。太陽のような笑みの人物は両手にマラカスを持っている。
にかーと笑うと白い歯が印象的でやたらめったら「アミ-ゴ!アミ-ゴ!」という言葉が
浮かんでくる。…某ゲームもそんな感じだったな……。そして某友人も「アミ-ゴ」とか
なんとか過去に云っていたな…。
「ははは。そうですね~。でもあれかな…。今飲んでいらっしゃるカクテルは豪快でも
ないかも……」
やはり安直すぎたか。メキシコの国民皆がそんなわけではないだろう。
「あ、所謂、あれですか?カクテルのうんちくと云うか名前の由来っていうか…?」
ええ、とマスターはお得意であろうカクテルのうんちくスタイルに入る。
「まぁ、比較的どんなカクテルも様々な由来などはあります。偶然できたものだって
ありますし由緒ある由来の物もあります。テキーラベースのカクテルは情熱的な
鮮やかな色彩で明るいイメージのカクテルが多くあるんですがマルガリータはあれですね、
死者をしのんでつけられたものと云われています」
色々な諸説があるんですがね、というと、マスターは腕組をする。
「代表的なものとして…1949年にロサンゼルスのバーテンダ-が
考案したものと云われていて、彼の若き日の恋人が狩猟場で流れ弾に
当たって亡くなってしまったらしいのです。その彼女の名前がマルガリータ」
彼女を思い作られたカクテルらしいですよ、とマスターは云う。
へぇ…、それは、など曖昧な答えを返してしまう。今までのイメージががらりと変わって
もう「アミ-ゴ!」は消えていた。変わりに倒れ崩れる女性とカクテルを黙々と作っている
男性のイメージが湧いてくる。それがいつの間にか昔の彼女と私に入れ代わる。
私からラブレターを受け取って「生きていてもつまらない」と云い自殺をした彼女。
結果的に遂げはしなかったがそれを知った私は一心不乱に原稿用紙に向かっていた。
何かを吐き出す様にそして何かを求める様に、原稿用紙に黙々と文字を叩き付けていたのだ。
彼女と私の不安定な絆の戸惑いを、原稿用紙の上では答えなど出せるわけがないのに。
時々思い出しては女々しく考えてしまうのだ。
好きなものが毒に変わっていくような、そんな瞬間でもあった。


「それは…なんだか悲しい、ですね…」
そのイメージを重ねたまま私の前にあるカクテルを見つめる。
「ええ、でもね。先ほどの、氷の気持ちと一緒なのです。どんなカクテルも気持ちが入ってます。
カクテルを作る道具も材料もカクテルそのものにも気持ちを入れるのです。…どうです?
飲んでいたマルガリータは悲しい味でしたか?」
「いいえ、すっきりしていて実にさっぱりしたものだと思いました」
でしょう?とマスターは自信満々にいうと
「どんな由来のものでも作り手が気持ちを込めたものであればその味本来の良さが出るんです。
マルガリータを作ったと云われているバーテンダーも彼女を思い愛しその気持ちを込めたんでしょう。
だから悲しいなんていうことはありません。愛情たっぷりのカクテルだと私は思ってますよ。
だからどんな由来のカクテルでも私は自信と愛情とそのお客さまの為に作ってます」
…な~んてなんかかっこいい事云いましたね、と云うとそのはにかんだ笑顔が年相応に見える。

私はそのマルガリータを飲み干すと今日はこれでチェックします、といって
バーを後にした。家までの道のりの間あのイメージが離れない。


氷の気持ちになるというマスター。
愛する人をしのんでつけられたと云うカクテル。
それでも愛情はたっぷりだと云う。
私は小説が好きだ。ミステリが好きだ。
ラブレターを渡した彼女の事も当時好きだった。


目を閉じてあの時の光景を鮮明に思い出し、男の自分が、ましてや死にたいとも
思った事もない自分がそんな気持ちになれるのか分からないが、マスターの
受け売りで彼女の気持ち、とやらになってみる。


…やはり、結果は同じだろう。彼女の中には確実に「死」というものは存在してて
存在していなかったのは私の方だからだ。あの頃の私にはただの戸惑いだけで
てんで理解が出来なかった。「死」というものとその死に向かう彼女が。
今でも「死」に対しての理解などは出来ていないが、紙上では何度かそういう場面を
書いている。フィールドワークと称した友人の研究にも参加する事もある。
そこには確実に「死」というものは存在している。
その現場を書き、見て、いるのだ。私は。
それでも、理解しようとしない。例えば死んでからの体験談などあればそれなりに概念を
いただけるのかもしれない。ただそんなものはもちろんありえない。
「死」の先は架空のものでしかないのだ。
「死」の先にはなにがあるのかは誰にも分からない。


でもマスターはいう。愛情たっぷりだと。
愛しい人は死んでもそれは悲しい物ではないと。
彼女の中では「死」というものは悲しい物ではなかったのか。
その先に何があるのか分からないものに何を見たのか。
私は好きな物が毒に変わった瞬間、それを毒と感じ、まるで中毒の様に
書きなぐっていた小説に何を見たのか。


それは苦痛か?快楽か?


思いを成して物は出来ない。
愛しい人を思ってつくったバーテンダーも、「死」を思った彼女も、
そしてその死から逃れた彼女に成りえた物は………


マンションに着き、シャワーも浴びずそのままベットになだれ込む様にして
眠りに着く。それはまるで死んだようだと。


明日はこの指は動くのか。
この頭は働くのか。


「強くなりたい」、と枕に顔を埋めてここにいない友人のことを想った。

 

 

「」05/05/10