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Voice :火アリ


コツコツ コツコツ
音が耳につく。布団に入ったとたんにその音が強く協調された。
酔いの回る寝床で時折強く吹く風に疎ましさも覚えながら木枝が
ガラスを小突く音に耳を捕られる。
コツコツとリズムカルに、時折リズムを外れて鳴るその音は時に疎ましく
時に安堵も覚える。何年も耳にしてきている音だ。
建物事体がそれ相当の年期が入ってる為だろうか、学生時代から住居にしている
この北白川の下宿は最近またくたびれ具合がひどい。
だがある程度の融通ー猫が飼えるーも聞く上に今では店子が自分一人となっている為
本置き場として他の部屋も利用させてもらっているし、家主のばぁちゃんにも息子のように
可愛がってもらっている。


コツコツ コツコツとまた音がリズムカルに、時折リズムを外れて鳴る。
まるでその音に耳が洗脳されているような気分になる。

 


***
昔、一度だけ聞いた事のある、そしてもう一度聞いてみたい「音」がある。
正確にいえば、「声」でその「音」を。


何年も前の事。当時学生だった俺は有栖川有栖という男とつるんでいた。
2回生の時、親族相続法の講義中に、彼が内職をしていた小説をきっかけに
つるみ始めたのだ。
きっかけなんてものは偶然でたまたま彼が書いていた小説が程よく面白く、そして
少しチグハグなものだったので興味が湧いた。
そして小説を読ませてもらったお礼にカレーを奢ったのだ。


彼は自分とは違って友達も多くて周りからは親しみやすいポジションに
立っているような男だった。
それゆえに異性問わず相談事も多く、毎日チグハグと動いていた。
そう、チグハグと。


文章というものは人間性が出るものだ。
俺があの時読んだ小説で少しチグハグな…と思ったのもこれだろう。
大阪生まれの大阪育ちの関西弁。男なのだからそれ故の体つきや行動。
風貌は中性的な印象があり、誰にでも親しみやすい、お人好しな性格だった。
でも彼が書く文章はそれとは全く違って力強く、時には残虐的に書かれ、
ミステリ小説という定義の上で殺人を起こしている。
もちろん彼自身にも力強い所はある。
でもそんなものは外面的なものでしかない。
だからチグハグで面白かったのだ。
「毎日大変だな」
とたまに労いの言葉をかけると彼は笑って
「まぁ、ええよ。これぐらい」
と云う。
なにが、まぁええよ。これぐらいだ。
「なぁなぁ、そんなことよりや、次のネタなんやけどな、…」
実際参ってる癖に……。


後で知った事だが誰も彼がミステリ小説を書いている事は知らなかった。

 

そして毎日チグハグに動いていた彼は時折コンパに行ったりしていた。
もちろん俺はそういう所は好まないので自宅に戻り勉学に励んでいた。
それしかする事が無いというわけでもないが、そういう動きがある時は
自分の下宿先に来る事があるからだ。
彼はやって来るなり、水を飲みいつものミステリ話をけしかけてくる。
「…で、今日のコンパはどうだったんだよ」
「んー、相変わらずやで?普段と変わらん日常ーコンパーやったよ」
なに?気になるん?せやったらお前もくればええやん、と
彼は来客用の布団に転がりながら云うと枕に顔をうめる。
「……興味がないね」
猫かぶりの彼に。
「そんな事よりも毎回コンパの度に宿に使われるのは迷惑」
はっきりいうやつやなぁ~、とまだ顔は枕に埋めたまま
少し笑いを含めた調子で云う。
「…でも俺もう酔っぱらって動けへんもん。眠いもん」
「…………」
「…酔っぱらってん。動かんよ」
嘘をつけ。それが先ほどまで活き活きとミステリ話をしていた奴の云う科白か。
「…勝手にしろ」

こうやって酔っぱらったフリをしてチグハグに過ごしている友人が、
普段と変わらないと云うコンパに参加して、俺の所に来ては枕に顔を埋めていく。
何かを求めているように見えるのは気のせいだろうか。

ある日、まだ寒さも引いていない事だったと思う。
京都の冬は底冷えをする程寒い。それは春になってもまだ引かない。
確かそんな頃、下宿先の電話が鳴り、その日もコンパに行っていた彼の友達から彼を
引き取ってくれないかと云われた。
「なんか動かんのや。火村に電話せぇっていうて動かんのや」
早くしないと終電も無くなるから、頼む!と云われて、ある程度の予測と
その反面少し驚いてーいつもは自分の足で来るからだー
外に置いてある二人乗りができる自転車に跨いだ。


着く頃には電車も走ってしまって一人で待っているだろうなと考えながらギィギィなる
ペダルを踏む。
やはり風は冷たい。酒で火照った身体にはちょっと辛いだろうと思いながらもゆっくりと
実に確実に彼の待っている場所に向かった。


指定された場所に行くと思ってた通り彼は一人で待っていた。
ベンチに座りながら酒の酔いのせいかうつらうつらしながら、視線は下に向けられてる。
足代ぐらいは何かで返してもらうぞ、と思いながら自転車を降り
手で引きながら彼に近付く。
声を掛けようとした時、彼の視線は上がって自分に向けられた。
「ひむらぁ…」
そして確かに名前を呼ばれる。
「……」


…はたして自分の名前を呼ばれて躊躇する奴はいるのか……?

いつも呼ばれるような「音」じゃ無い。
ひらがなだ、ひらがな。
ニュアンスがいつもの「火村」ではなく「ひむら」なのだ。
ひむらぁ。ごめんなぁ、と少し足元がおぼつかない感じで彼の方から近付いてくる。
(ああ、そうか、酔っぱらっているから…)
珍しい。酒の強い彼が今まで完璧に酔っぱらった所を見た所はない。
だから今日も酔っぱらったフリを完璧に演じているんだと思っていた。
そしてそんなフリをして自分の所に来てはミステリ話をこてこての大阪弁で
しゃべりまくるんだと………。
「酔っぱらってるんだな、珍しく…」
「…酔っぱらってへんよ。ぜんぜん、よゆう~」
と笑みを浮かべて彼は自転車の後ろに跨ぐ。
その笑みがまた酔っ払いにあるような笑みで……
「ひむらぁ…」
だからひらがなだっての。ニュアンスが……
「ひむらぁってば」
酔っぱらってるじゃねーか。
じゃなかったら歩いて来るなり、自分でうちに来るだろうが。
「なんや、おれ、こどもに返ったきぶん…」
彼に云われてはたと気付く。
荷台にちゃっかりと座っている彼とまだ突っ立ったままの自分。
自分の手はもちろんハンドルに掛けてあって、これではまるで
子供を乗せている親状態だ。
「なぁ、ようちえんでもいくん?おれ?」
けらけらと笑っている彼を横目に馬鹿といってサドルに跨ぐ。
いつもなら大阪人に馬鹿は禁句や、とかなんとかいって突っかかってくるのに
何も云わずただただ俺の腰に腕をまわしてくる。
顔は見えないが哀願するように、するりと力強く、俺の背中に顔を埋めながら。
今日は俺が枕じゃないのかと、心の中で密かに思った。


そんな「酔っ払い」を乗せながらまたギィギィとなるペダルを踏み付ける。
家に帰る道路は実に緩やかだった。

 

***
コツコツとまた小枝がガラスをたたく音が強くなってきた。
今日はアリスの新刊の発売を記念して二人でこの北白川の俺の部屋で
飲んだ。相変わらずミステリ話に花を咲かせて程よい程度に酔いも回り
寝床に付いた。飲んでいた最中には気付かなかったこの音だが、静まり返ってみると
外ではひどく強い風が吹いているようだ。


耳障りではないかと隣で寝ているアリスに目を向ける。
ちゃんと寝ているようで寝息をたてて眠っていた。
学生時代に何度も泊まりに来ているのだから今さらの事なんだろう。


あの日のアリスがしたようにするりと力強く自分の掛け布団を両腕で挟んでみる。
その自分の動作のおかしさに少し笑いが込み上げた。

昔、一度だけ聞いた事のある、そしてもう一度聞いてみたい「音」がある。
正確にいえば、「声」でその「音」を。


例えば、チグハグで。
例えば、甘えたようなあのニュアンスで。
例えば、するりと力強く掴まれた腕で。


外の音のように耳に付いて離れない「音」を愛おしく思う。
普段と変わらない日常といったアリスの言葉に自惚れたまま、
枕から自分に変わった瞬間を今でも背中に感じ、
今両腕に包んでいるものがアリスであれば良かったのにと、
そんな思いを馳せながら眠りにつく。

 

「Voice」05/05/01